南山田

後藤又兵衛ゆかりの地 - 春日山城址

春日山城址

飯盛山

 春日山城というと新潟県上越市の
上杉謙信の城が有名ですが、
ここで紹介するのは、山田町の北隣り
福崎町八千種の飯盛山(標高198m)の
山頂部にあった播州後藤氏の本拠です。
建武3年(1336年)、播磨守護赤松氏の幕下であった
後藤三郎左衛門尉基明が築城したとされています。

 西国街道と生野・丹波への街道が
交差する交通の要衝であり、
古くは、伊和大神と天日矛がこの地で戦い、
天日矛の軍勢が八千だったことから
八千種と呼ぶようになったといわれています。

飯盛山
東側から飯盛山を望む
円錐形の美しい山で八千種富士とも呼ばれている

 中世には荘園が置かれ、皇室領・九条家領となった後、赤松氏の支配地となりました。
嘉吉元年(1441年)、嘉吉の乱により、赤松氏と共に後藤氏は一時衰退します。
文明元年(1469年)、赤松氏再興により再び拝領したこの地を、6代基信が本拠とし、
春日山城を実戦的な堅固な城郭としました。
文明4年(1472年)、赤松正則は播州16郡を市川を境に二分し、
東播8郡24万石を一族の別所氏に預けます。
これにより市川の東に位置する春日山城は、別所氏を主家と頼むことになり、
後に秀吉の中国征伐において、三木城と運命を共にすることとなるのです。

春日山キャンプ場

 南山田バス停からゴルフ場を抜けて、福崎の西大貫バス停へ至る7.2kmの道は、
「近畿自然歩道 福崎 春日山散策のみち」となっています。
ゴルフ場が出来てから(出来る前から?)、ほとんど車の往来もなく、
曲がり角ごとに、これでもかと道標があるので、散策には最適かも。
ただし飯盛山に登るには、途中雑草の生える農道を通る必要があります。
(普通は山田小学校から北へあがって、山の西側から入りますね・・・こちらは裏道。)

 飯盛山の南は、キャンプ場になっています。
広くはないけれど、キャンプサイトや炊事棟、
バンガローが10棟ほど建っています。
キャンプ場入り口にも、これでもかと道標があり、
かえって分かり難いのですが・・・
登山口はキャンプ場を通り抜けたところにあります。

春日山キャンプ場
春日山キャンプ場入り口

春日山城址

 登山口から小高い山を越えると、
しばらく平坦な道が続き、登山道というより
散策道という感じですが、さすがに城跡だけあって、
最後は急な勾配となっています。
キャンプ場からは、15分ほどでしょうか、
頂上は、食糧貯蔵庫跡の小さな穴がある以外は
平坦で南側から北西側の眺めはよく、
三等三角点「北飯盛」が設置されています。

春日山城址
山頂城跡を北側から望む

南西側眺望
南西側 姫路方面

北西側眺望
北西側 福崎方面

 残念ながら東側は、草木に覆われて
望むことは出来ませんでしたが、
南側からは山田町を見下ろすことが出来ます。
南山田の城跡は、手前の山に遮られて
見えませんでしたが、
この死角を補うための支城だとも考えられます。

南側眺望
南側 山田町を望む

 約四百年前、ここで戦いが行われたとは思えない、のどかな景色が見渡せました。
天気は悪くなかったけれど、少し霞んだ写真しか撮れなかったので、
また良く晴れた日にでも登ってみようかと思うほど、気軽に登れてしまう山でした。